こんにちは群馬県館林市の音楽教室、ピアノと声楽ボーカルのための音楽教室カーザ デッラ ムジカです。皆さまお変わりありませんでしょうか?

今回は皆様に左手のピアニスト・智内威雄さんをご紹介したいと思いますぐんま国際アカデミー高等部にて音楽特別授業を企画させて頂き、2021年9月に素晴らしい授業をして頂きました

智内さんは、私の高校・大学時代の一つ下の後輩で、小林出先生の同門でした。音楽家志望の学生たちの中で、一際異彩を放っていました。穢れなき孤高のピアニスト。大学卒業後しばらくして、ジストニアという病気で右手が使えなくなってしまったという、あまりにもショッキングな噂を耳にしました。その後、左手のピアニストとして活動されていることを知り、ご自分の道を見つけられたのだな、と安堵しました。そして彼のドキュメンタリー番組を観て心を打たれました。敬意と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした

こんな私の思いがあり、今回企画させて頂きました
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智内さんは、東京音楽大学付属高校・同大学ピアノ演奏家コースを特待生で入学。卒業後、ドイツに留学していた25歳の時に「局所性ジストニア」という病気で右手が思うように動かなくなり、緻密なリハビリに取り組んだ。そして自分の可能性を模索した。模索する中で「左手のピアノ曲」に出会った。その芸術性の高さに驚き「すごい世界が存在している」ことに気づいたという。リハビリを徹底的に行い、かなりの回復を果たした時、「ピアニストとして復帰をしようとは思わなかった」という。「左手のピアノ曲を演奏し紹介することが自分の使命」と感じ、「左手のピアニストとして、この美しい左手のピアノ曲の数々を演奏していこう」と決めた。

特別授業では、そんな智内さんの幼少期からこれまでの半生を語った。子供のころ、ピアノを演奏すると友達や周りの人たちが喜んでくれた。もっと喜ばせたいという気持ちが原動力となりピアノの練習に励んだと話す。また、父が画家(智内兄助氏)、母が元劇団四季所属の歌手でピアノ教師という芸術一家に育った彼は、「美しさ」が物事の判断の基準となっているという。それは単に美しい物が好きという事だけではなく、「美しいか否か」を基準にして行動していると語った。
そして、智内さん自身が各時代に弾いていた曲(シューベルト「アヴェ ・マリア」、J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集より第1巻 第1番 前奏曲」、スクリャービン「前奏曲と夜想曲 作品9より 前奏曲」など)を左手で演奏した。
私たちはその豊かな響きに息をのんだ。その響きは、心の中にすっと入ってきて、繊細な音色が琴線に触れた。幸せな時間だった。

さて話は変わって、2018〜2019年のこと。アメリカ在住のピアニスト杉浦有朗さん(ノースダコタ州立大学音楽学部教授)が来日し、コンサートとレコーディングの合間を縫って来校した。11年生・12年生のIB音楽選択者に3回に渡り音楽特別授業を行った。その中で杉浦さんは、左手だけでピアノを演奏し、私たちを驚かせた。「友人であり尊敬する左手のピアニスト・智内威雄さんにインスパイアされての演奏」と話した。
智内さんは、杉浦さんについて「益々力強く進まれていていつも刺激を受けている。尊敬できる先輩」と語った。
このような経緯を受け、この度 智内さんの特別授業が本校で実現されたことは、大変感慨深い。

金子校長は「智内さんのお話の中で暗いものは何もなかった。右手が使えなくなってしまい世界が狭まったのではなく、左手のピアノという新たな世界が広がったのだ。世界が狭まるのか、広がるのかは、その人の捉え方次第だという事を感じた」と話した。

ところで、生徒たちに智内さんのプロフィール等の事前情報をアナウンスしなかったのは、「情報に左右されず、生徒たちひとりひとりが自分の目で耳で心で感じて欲しい」という金子校長の願いからだ。
静かに、そして真剣に、時に体を揺らして智内さんの演奏とお話に聴き入っていた生徒たちは、智内さんの心のメッセージをそれぞれの思いで感じ取った事であろう。

智内さん、本当にありがとうございました
第2回 左手のピアノ国際コンクールのご成功と、いつか左手のピアノ曲が無形文化遺産に登録されますことを心から願っています。



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