高槻市野田1丁目の河井エレクトーン・ピアノ教室です
河井教室では、生徒さんにアレンジや作曲をする練習もしています。
自分の記憶を辿ってみて、初めて作曲と言われるものをしたのは、いつなのか?と思いました。
たぶん、それは中学二年の時だと思います。
「クラスソング」を作曲しました。
澄みきった瞳を大空に向かい
優しい瞳は、元気に溢れる
肩と肩をたたきどこまでも
手と手を繋ぎいつまでも
協力、そして協力
これが、我ら二年○組合言葉
とか、いう歌詞だったように思います。
これに、曲をつけて、投票で私の作曲したものが選ばれたと思います。
曲は覚えています。
今では、小さい子どもさんでも、作曲しているのに、随分遅いですね⁉️
当時、私は普通のピアノ教室に通っていましたので、作曲など勉強したことがありませんでした。
ただ、小学生の時に近くに、小栗さんというお友達がいて、彼女とクラスの出し物で歌うことになり、伴奏を小栗さんの弟さんにエレクトーンでつけてもらおうって頼んだことがありました。
弟さんは、とても素敵な伴奏をしてくれました。また、作曲もしてくれたので、それに詩をつけて歌って、出し物は好評だったように覚えています。
その弟さんのことを、「小さいのに凄いなー!」と感心していました。
小栗豊君という人でした。
何であんな曲が書けるのかと思っていました。
後にヤマハのオリジナル曲集に、「ユカ&ユタカ」でアンサンブルの曲に、小栗豊君の作曲したものが載っているのをみてびっくりしました。
さらに小栗豊君は、今では、朝川朋之さんという名前で日本では凄い作曲家、ハープ演奏家に成られています。
朝ドラのテーマ曲も作曲されています。
私とは随分立場が、違う立派な音楽家です。
でも、この立派な音楽家の子どもの頃や、お姉さん、お母さんのことをよく知っていたということだけが、私の自慢かな?
小さい時の感性はとてもすばらしいものです。
ピアノや、エレクトーンの演奏技術が未熟だったとしても、発想力には、目を見張るものがあります。
大人には、とても叶わない世界があるように思います。
この小さい時に作曲したものを、ずっと大切に楽譜にしてもっていたら、大人に成った時に宝物になっています。
ただいま年少さんの生徒さん募集中です。4月から年少さんでもOKです。
日曜日もレッスンしています。
一緒にレッスンしませんか?
河井エレクトーン・ピアノ教室
最新記事 by 河井エレクトーン・ピアノ教室 (全て見る)
- 諦めずに頑張って同じ曲を練習します - 2024年11月25日
- 発表会の曲の補講をしました - 2024年11月24日
- ピアノやエレクトーンを上達させるためには - 2024年11月23日