こんにちは♪ 世田谷区桜にある中村理子バイオリン教室です。

悲しいお知らせです…

私の母校、東京音楽大学付属高校の時から、長きにわたりお世話になりました、指揮者の汐澤安彦先生が、2025年1月7日、肺炎のためお亡くなりになりました。

先生との初めての出会いは、私が15歳の時。高校のオーケストラの授業でした。

噂で、「指揮の先生、めっちゃ怖いらしいよ~」との前情報から、私は怖くてたまりませんでした。だって、私自身、オーケストラ自体が初めてだったのですから…

しかし、汐澤先生はその期待を裏切りませんでした。

いきなり、「ファーストバイオリン、一人ずつ!」と言って、前から順番に公開処刑ともとれる「一人弾き」を命じられたのです。最初は怖すぎて弓もガタガタ震えます。鋭い眼光でじーっと見ながらほぼ全員の音をお聴きになっていらっしゃったのではないかと思います。でも、それは名物で愛だということが高3くらいになるとやっとわかり、「きたきた!」と思えるくらいになり、あんなに怖かったのがウソのように、一人弾きで先生からOKを貰い、先生の世界観を共に感じ取りたいと思うようになりました。大学生になってからも、ずっと気にかけて頂き、足立シティオーケストラ、青山シンフォニー、上智管弦楽団など、先生が携わる団体にに呼んでくださったり、本当に光栄でした。

私は高校大学、研究科と、学生時代は神奈川県秦野市から通っており、常に都心から遠すぎる!という悩みを抱えていました。特に足立オケには片道3時間程かかって通いました。21時に練習が終わっても、自宅につくのは深夜0時でした。そのことを先生もご存じだったと思いますが、それでも私を使って下さったことが嬉しかったです。本当に感謝しかありません。

今、私はバイオリンを教える立場となりましたが、先生から学んだ愛とムチが、ベースとなっているかもしれません。愛があるからこそ、厳しくもなれると思っています。

先生にもうお会いできないかと思うと本当に悲しくて。私の音楽のベースの一部をを作った大切な先生だと思っています。この御恩は決して忘れません。出来ることならもう一度、先生のタクトで演奏してみたかったです。

思い出がありすぎて、本が書けそうなくらいです。

本当にお世話になりました。

本日、お通夜に伺わせて頂き、手を合わせて参りました。

祭壇に、先生のご健在中のステージでのお写真が何枚も飾られていて、当時を思い出し、思わず涙を抑えることができませんでした。ずっと輝いている素敵な先生でした(T_T)

どうか汐澤安彦先生のご冥福をお祈り申し上げます。

ありがとうございました(T_T)

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中村理子

中村理子

お子様にも大人の皆様にも、音楽は一生続けられる宝物です。 生徒さんの『HOW TO』にお答えします。 バイオリンで人生を豊かに過ごしませんか?